いい果たし方、悪い果たし方
いい果たし方、悪い果たし方という表現が適切なのかどうか少し疑問に思う所ですが、あえてこのように表現させて頂きます。
紫微斗数特別講座を受講してから自分の人生を色々思いおこしております。
果たし方の流れについて、来因宮と生年ABCDだけでストーリーを組み立てていくのですが、向き合う姿勢でなんと流れの変わる事か!と思わせて頂きました。
細かな見方は、さておき
あまり意識せずに過ごしてしまうと、どうしても人は重い方に引っ張られていく性質があります
(何でも、軽い方から重い方へ流れていくもの。人の性質も同じ。色々な物事の性質は万物共有なのだと思います)
ですので、意識せずに過ごしてしまうとついつい悪い果たし方の流れに乗ってしまうのではないかと思います
例えば、ダラダラTVを見たり、ゴロゴロしたり意識しなくても出来てしまう
それを意識して、その時間を勉強しよう!とか読書しよう!とかは、ちょっと自分を律する事が必要だなと思います。
そのちょっとした、自分を律する心が
果たし方の良い流れに乗って行く事だなと
そのちょっと律する心が、来因宮、生年ABCDを良い方に生かして行けるのだと。その方向性にさえ向かえば、ちゃんと果たして行けるのだと
何もかも律するのは、なかなか大変な事ですし、全部完璧になんて出来ません(^^)それぞれ個人の命盤には、そのポイントが載っています。そのポイントをしっかりおさえるという事がまず自分を知る事にもなり、そしてそこに向き合う努力をしていきたいと日々日々自分も調整中です
それを続ける事が自分自身の芯を太くし強くなって行くのだと思っています
良い面、悪い面、両方あって自分。そのどこを出すのかは自分次第で変えて行ける事、それが運命を切り拓く一つではないでしょうか