〜楽園列車〜

〜励ましあって喜びあって共に生きてまいりましょう〜

学問をするということ

学び続けている時に、よく人がぶち当たる壁に

私は理解が遅いから向いてないのではないか…

私は、まだここまでしかわからないから置いていかれているのではないか…

または、反対にこのくらいわかればまぁいいか…と

人と比較し始めるということ。

紫微斗数の講座で良く言われているように天地自然の法則には、人と比べるという事がないという事。過去記事→紫微斗数入門編について

 

花にもそれぞれ育ち方の違いがあるように人も、学び始めてから花が咲くまでに色々な過程をそれぞれが必要なように通る。

花は、他の花と比べて落ち込んだり、高慢になったり、卑下したりしない。

学び続けるという事は、ずっと自分自身と対峙して行く事なのだと思う。

何でも続けようと思うと自分自身と対峙することは出てくる。

そして自分の思い方の癖が出てくる。

その時に、人と比べ始め辞めたり、わからなくなってきたときに諦めてしまったり、自分で限界を作ってしまうとなると非常にもったいない事だったんだと。

成長は、そこからだったんだと。

そして、何にでもやってくるスランプ。そのスランプ時期もやり続けること。

その時期にグッと根を張っているという事を、何度も何度も学習の過程を紫微斗数の講座で先生に働きかけて頂いた。そしてその過程でグッとぶれない芯がだんだん出来ていくのだと。

向き合うのは自分自身のみ!

比較するのも過去の自分のみ!

人では決してない

自己を成長させるために学問はあるのだと思う。

学び、そして自身に問うと書いて学問というのだと教えてもらった。

 

道に沿うものを学び続ける事は人の分は関係なく、自己を成長させて行くのに重要な経験になっていく。道に沿うものとは、人の真髄の部分を学ぶということ。

私達は、何のためにうまれ、どう生きて欲しいとご先祖様や自身のみたまは思っているのかというのを知ること。

諦めずに学び続けたいと思う。

濵田実貴先生の著書

授かりし命をつなぐ道 | bookpaletteni

.....道というのは、地面に広がっている道を歩くことと同じで、早く歩く者や、理解の早い者、逆に遅くしか歩けない者や、理解の遅い者など様々な人がいる。しかし、学びたいという誠の心があって、尋ねてきたのであれば、私は会って道の奥義を語るつもりだ.....

という一節が、深く心にしみる。

yamaki10.hatenablog.com

#紫微斗数